1995年10月11日、江藤隆美 「あれ(日韓併合条約)は無効だったと言い始めたら、国際協定は成り立たない
1995年10月11日、江藤隆美 「あれ(日韓併合条約)は無効だったと言い始めたら、国際協定は成り立たない
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発言内容 | あれ(日韓併合条約)は無効だったと言い始めたら、国際協定は成り立たない。サンフランシスコ条約でもほかに結びようがありましたか。日米航空交渉、日露航空協定もそう。強い国と弱い国、ほかに方法がないわけだから。直接、脅かして心理的、政治的圧迫があって結ばざるをえない。あの時はおれの国が弱くてやっつけられた時だから、仕方がなかった。
日韓条約は日本が悪かった。日本が強引に判を押させたから。軍を配置して暴動を起こさせなかった。民族を統合するというのは、そりゃ反対がある。
しかし、日本はいいこともした。全市町村に学校をつくった。高等農林学校をつくり、ソウルに京城帝国大学をつくり、一挙に教育水準を上げた。まったく教育がなかったわけだから。鉄道五千キロ、道路一万キロ、港湾の整備、開田、水利をし、山には木を植えた。いいこともやったが、誇り高き民族への配慮を欠いた。それが今、尾を引いている。
全国民に創氏改名をやらせたとは思えない。あのころ、同級生で朝鮮人名で何人も勉強していた。そのままの名前で陸軍中将にまでなった人がいる。今日、日本では経済界、芸能界、野球選手とあらゆる面で韓国人が活躍している。韓国から日本に来て、あらゆる階層で活動するようになった。日韓併合条約の大筋の効果だったかもしれない。
朝鮮人べっ視の過ちをしてきたが、台湾には反省して戒めた。台湾ではいまもおれは日本人だという人がいっぱいいる。おれは日本語以外使ったことはないという人もいっぱいいる。日本の軍隊に参加した人もいる。だから朝鮮の統治について日本は幼稚であり、無策であった。民族の誇りを傷つけた。部分的に日本の政策に反対する者に弾圧をした。
(朝鮮半島への)日本の侵略について、日本人全体としては植民地と思っていなかっただろう。だから内地、外地と呼び、外地を内地の水準に高めようとした。李王朝の金銀財宝を日本に持ってきて飾っているようなところはない。フランスのルーブル美術館、イギリスの大英博物館は世界中から(財宝を)かっぱらってきた。日本は中国からも韓国からもそんなことはしていない。 |
発言者 | 江藤隆美 |
所属 | |
所属団体 | 自由民主党 |
発言日時 | 1995/10/11 |
発言場所 | その他(ヤジ、私事の講演) |
情報源 | 毎日新聞:江藤隆美総務庁長官の「植民地発言」要旨--11日、記者会見後の「オフレコ懇談」 |
掲載日時 | 1995/11/09 |
掲載元URL | |
事後経過 | 首相は当初「厳重注意」し、進退は問わない意向を示したが、韓国側の強い反発に加え新進党が十三日、江藤長官の不信任決議案を提出、同長官は辞任を余儀なくされた。
首相は辞表を受理した後、記者団に「せっかく、一緒に頑張ろうと思ったのに」と述べた。野坂浩賢官房長官は「まったく自発的な辞任だ」と強調した。 |
経過情報源 | 毎日新聞:江藤隆美・総務庁長官が辞任 植民地政策発言で--「国会混乱招き」引責 |
経過掲載日時 | 1995/11/14 |
経過掲載URL | |
補足・解説 | |