キムチというと韓国の伝統食です。しかし、このキムチについて知っている韓国人は少ないようです。少なくとも現在のキムチ、つまりトウガラシで辛く味付けした白菜の漬物(朝鮮漬け)を本来のキムチだと主張する韓国人が非常に多く、実はそのトウガラシで味付けされたキムチは寧ろ賤民階層の食べ物だったことを知る韓国人が少ないのです。キムチのことばかり考えている韓国人というイメージがついていますが、キムチの消費量から類推すると、実際はかつてほどキムチが韓国で消費されていないことが分かります。乳酸発酵食品として、韓国人に親しまれるキムチですが、その一方非常に臭いがきつく、味も辛いため、徐々に食文化が欧米化している現在の韓国では受け入れられなくなっているのかも知れません。過去五年間で20%減という、例のない韓国人のキムチ摂取量の激減は韓国でも報道され、多くの韓国人から驚きの声が上がっているようです。しかしながら、韓国以外の国では、例えばフランスではキムチは輸入禁止になっていますし、日本でも十数年前に東京都保険当局が韓国産キムチに注意情報を流して以降、その安全性に疑問が持たれています。キムチが韓国の国民食であることは理解しますが、まずは安全性を担保する方が先ではないでしょうか。常に安全よりも経済性を重視する韓国だからこそ、韓国内で出回るキムチの大半が支那産キムチにとって代わられるのです。さて、では本来のキムチとはどのようなキムチだったのでしょうか?太閤豊臣秀吉による朝鮮征伐に際して、トウガラシが朝鮮にもたらされました。これに支那から伝わった白菜の漬物が組み合わさり、キムチが出来たと言われています。しかし、当初は王宮で食されていたものであり、現在に伝わるレシピをみると、白菜やカタクチイワシやタコ、エビ、グチの塩辛を混ぜて作るもので、トウガラシ粉は僅かに使用されていたようです。つまり、現在のただ辛いキムチと違って、複雑な味の辛くないキムチが主流でした。また漬けられたキムチは上皮を二~三枚ほど向いて、最初の葉の部分が上級(国王や王妃が食する部分)、その次の葉の部分が中級(側仕えの高級官僚たち)、最後の固い部分が下級(煮炊きする料理人たち)が食していたそうです。冷蔵保存が出来なかった時代、キムチの保存期間を長くするために地中に埋めたり、また土蔵に入れて発酵を促していたそうですが、いわゆる国民の八割~九割を占めていた賤民階層では、そのような保存という贅沢は出来ず、出来る限り日持ちさせるために、香辛料(トウガラシ)をまぶして腐敗を防いだことが現在のキムチの元祖となっているようです。とはいえ、全羅道から平安道まで南北でのキムチの味付けは全く違うようで、全羅道のキムチは汁が少なく、トウガラシ辛いもの、平安道のキムチは汁が多く、辛くない仕上がりになっているとか。こうした、キムチという今では朝鮮民族にとって、切っても切れない食材の基本さえ理解していない、朝鮮人が多くいることは非常に問題でしょう。実際、韓国では国民のキムチ離れに対抗して、学校教育の場でキムチの歴史を教え始めているそうです。日本と支那の由来合作によって出来たものですが、朝鮮発祥と言われる料理が(キムチは料理とは言えませんが)、極端に少ない半島において、キムチを誇りたいという気持ちは分かりますが、しかしながら、いわゆる日本では「漬物」でしかないキムチを世界中にばらまき、時には危険物として輸入禁止を受け、挙句、韓国を訪れる外国人に「Do you like Kimuchi ?」と尋ねる有様は、常軌を逸しているとしか思えません。これが日本であれば、日本には漬物しかなく、外国人が訪日するたびに「Do you like Tukemono?」と尋ねている姿を想像してください。過去の食文化だけに縋るのではなく、未来に向けた自国の食文化を韓国も創造すべきだと思うのです。