2017年6月22日、鈴木信行 「本日6月22日は昭和40年に日韓基本条約が締結された日である。今回は中島聡都市計
2017年6月22日、鈴木信行 「本日6月22日は昭和40年に日韓基本条約が締結された日である。今回は中島聡都市計
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発言内容 | 本日6月22日は昭和40年に日韓基本条約が締結された日である。
今回は中島聡都市計画課長と神垣宏追悼碑を守る会事務局の二人の承認尋問だ。
始めに中島氏で、15分の休憩後、神崎氏の順番で、13時45分から始り終了が16時55分だった。
争点の一つ目、
平成24年5月15日の朝鮮総連影響下の朝鮮新報記事で掲載された4月の追悼集会記事が問題視され騒ぎになったのだ。
それから1年半後の26年1月追悼碑用地貸与許可満了日まで、県側(被告)は追悼碑を守る会(原告)に、追悼碑前での政治的発言を問題視していると、何故伝えなかったのかという点だ。
不許可決定は満了日から半年後の同年7月である。それまで重原副知事をはじめとする県側は4回、守る会側と面談し折衝を続けて不許可処分を下している。
裁判所では言えないが、役人は朝鮮総連が怖かったのだ。追悼碑を撤去しろという役は誰でも避けたい。期限切れのタイミングまで、事実を確認し証拠を固めて待ちたいというところが本音だろう。
群馬県に寄せられた意見は、
追悼碑を残すべきが752件、
追悼碑を撤去すべきが253件という。
角田義一弁護団長が大声で上記主張をしていたが、朝鮮総連の組織票だから県民の声ではない。
だいたい角田義一は朝鮮総連からの違法献金が露見して参議院副議長を辞任した恥ずかしい男だ。本来なら弁護士席に立てる身分ではない。政治資金規正法違反で刑務所行きだ。
この男、以前から群馬県側を裁判所でも「あんたらは」とか、「国際問題になってもいいのか」とか言って恫喝していた人物だ。
国際問題ってもしかして北朝鮮との間のことだけだろう。
問題ない。
群馬県議会が朝鮮人追悼碑撤去を議会で決議している。これこそ県民の声として重要視すべきである。公明党まで賛成したのだから、朝鮮総連と韓国民団がいかにやりたい放題だったかという証左である。
争点の二つ目、
平成16年4月に朝鮮人追悼碑の除幕式が行われたのだが、それまでの県との折衝で11項目の許可条件を提示され、守る会側は条件を付けられ同意した。
2項目目の「政治的活動を行わない」に守る会側は同意したにもかかわらず守る会側の証人は、この項目を深く考えていなかったという。子供じゃないのに決めた取り決めをよく読まずに同意したというのか。
群馬県は外務省からの指摘もあり、碑文に「強制連行」の文言削除を迫った。守る会側は渋々従い碑文から削除した。「強制連行」の文言は群馬の森では禁句だったのだ。
ところが除幕式から平成24年まで、強制連行、朝鮮統一の発言は追悼碑前の集会で飛び交っていた。
簡単にいうと、許可さえ取れれば後はやりたい放題で、群馬県庁を舐めきっていたのだ。
守る会側は来賓の発言までは制約できないという。
来賓の発言までもが政治的発言と制約されるのかとの守る会の言い分だ。
ちょっと待て。
朝鮮人追悼碑前の集会で朝鮮総連まで来賓か。
この追悼集会に参加して挨拶する者が来賓に当たるのか。皆々関係者であり、関係者中の代表者に挨拶させていたのだろう。
来賓の定義を聞きたいものだ。
守る会側は「政治的」という禁止事項に関して、追悼碑設置交渉の過程でも、これまで県側から何も説明を受けていないというが、「強制連行」という文言を碑文から外せという議論を受け入れているのに、今更何を言っているということだ。
群馬の森公園は、戦前は陸軍火薬廠の施設跡地だった。朝鮮総連らがこの公園に拘ったのは軍施設跡地に追悼碑を建立したかったからだ。
旧軍への逆恨みとは恐れ入る。
裁判所でも証人は「この国は戦前アジアの人々に苦しみを与えた」とか、「謝罪」「強制連行」と夢物語を語っていた。
県立群馬の森公園から朝鮮人追悼碑の撤去命令をだした大澤知事の英断に拍手を送りたい。
次回裁判は7月19日だ。副知事が証人として証言台に立つ。 |
発言者 | 鈴木信行 |
所属 | 参議院選挙立候補者 |
所属団体 | 維新政党・新風 |
発言日時 | 2017/6/22 |
発言場所 | 維新政党新風 鈴木信行 公式ブログ |
情報源 | 維新政党新風 鈴木信行 公式ブログ 群馬の森朝鮮人追悼碑撤去裁判3時間超!原告被告に証人二人! |
掲載日時 | 2017/6/22 |
掲載元URL | http://ameblo.jp/ishinsya/entry-12285898569.html |
事後経過 | |
経過情報源 | |
経過掲載日時 | |
経過掲載URL | |
補足・解説 | |