2017年1月20日、桜井誠 「平成十八年八月に書いたブログ記事を再掲します。十一年前に書いた文章ですが、現在の
2017年1月20日、桜井誠 「平成十八年八月に書いたブログ記事を再掲します。十一年前に書いた文章ですが、現在の
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発言内容 | 平成十八年八月に書いたブログ記事を再掲します。十一年前に書いた文章ですが、現在の日本を取り巻く状況をそのまま書き記しているかのようです。日本人として支那・朝鮮問題に断固立ち向かうことを宣言した文章になったと自負しています。十一年前のこの記事を改めて読んでもらうため、一切言葉を変えずに再掲します。誤字脱字があった場合にはご容赦下さい。当時の思いを、多くの国民に共有してもらえればと思います。少々長くなる一篇ですが是非ご一読下さい。
(中略)
様々な場面で使われるアジアと言う言葉ですが、その多くは「支那・朝鮮・日本」という枠組みで捉えたアジアを指しています。靖国神社参拝について国家として文句を言ってくる非常識な国が支那・朝鮮以外にあるでしょうか? 或いは支那・朝鮮以外のアジア各国における対日意識は「日本に好感を持っている人」が過半数を超えていることが、各国の調査機関の世論調査や国際的な研究機関の調査によってはっきりしています。にも関わらず日本人の中には「日本はアジアに嫌われている」「日本はアジアから孤立したら生きていけない」と強迫観念じみた妄想に取り憑かれた人たちが存在しているのです。もちろん、朝日新聞を筆頭とする極左メディアやプロ市民団体などの極左活動家たちによる扇動があることは間違いありません。彼らにとって日本は常に悪でなければならず、日本は永久にアジア各国や世界に頭を下げて許しを請う事が絶対正義なのです。こうした極左の姿は、謝罪するたびに自慰的快感を覚える変態的行為であると言っても過言ではないでしょう。
これらの変態極左はともかく、一般の日本人の中でも漠然と「アジア」という言葉を連想して、やはり「支那・朝鮮・日本」という枠組みを思う人も少なくないのではないでしょうか? 日本人の考えるアジアとはアジア主義の具現化であり、そのアジア主義とは中華思想に根付く支那を中心とする世界観の残滓ではないかと思うのです。
かつて「日本・唐(支那)・天竺(インド)」という極めて狭い世界観の中で日本は生きてきました。後に「日本・支那・朝鮮」と観念的集合性から地理的集合性を重視した世界観に変化していきますが、やはり地球規模で見れば極小の世界観であることに変わりありません。これを仮に旧世界と名づけましょう。ごく当たり前に存在していた旧世界は、欧米列強の前に余りにも簡単に崩れ去りました。江戸末期の黒船来航以降、日本人はまざまざと欧米列強の力を見せ付けられ、自分達にとって全てと思っていた旧世界がいかに無力な存在であるのかを知ったのではないでしょうか。そしてここで初めて日本人は西洋という新たな世界を認識し、現在に至る地球規模の新世界観を受け入れたのではないかと思います。新世界観を日本人が持った時から旧世界は東洋という一地域へ格下げされ、それは皮肉にもアジアという概念を否が応でも日本人に植えつけることになりました。かつて世界の中心と思っていた中国をはじめアジア各国が次々と西洋勢力に侵略されていく姿は日本人にどれ程の衝撃を与えたでしょうか。「このまま日本がアジアの中に留まれば西洋勢力によって侵略され消えていく国々の一つになってしまう」という考えに至るのは当然と言えるでしょう。明治以降の日本はそれこそ死に物狂いで「脱亜入欧」を目指し、列強の一員となることを最大の目標としました。脱亜入欧とは言い方を変えれば、旧世界観に根ざすアジア主義を脱し新世界の中で生き残ることを目指した戦いであったと言えるでしょう。
日清日露の両大戦を経て日本は自他共に認める列強の一員としてその地位を獲得したかに見えましたが、大東亜戦争での敗戦によってアジア主義を脱し新世界を目指した精神・言動は「軍国主義」や「侵略」の名の下に全否定され葬り去られたのです。敗戦後、日本は物理的にも精神的にも足かせをはめられ、明治以降における日本の所作を全て否定する自虐教育を戦勝国に押し付けられました。日本は再び旧世界観に根付くアジア主義に戻ることを強要されたのです。支那を中心に成り立つ小さな世界の中に日本を閉じ込めておけば、二度と日本が列強となることも或いは列強を目指すこともないだろうとタカをくくった者達がいたのでしょう。しかし、焼け野原から立ち上がった多くの先達たちは経済力をもって、日本を世界屈指の先進国へと導いてくれたのです。江戸から明治にかけて恐ろしく巨大な西洋の壁を乗り越えようと、多くの日本人たちが物的にも精神的にもより高みを目指した時代がありました。現在の日本は物的に世界最高レベルの国家になったと確信を持って言えます。今を生きる私達にとってこれが当たり前の世界なのですが、ここに至るまでどれほど多くの人たちが血を流し苦しみぬいたかを考える事も大切です。そして確かに物的には世界屈指の国家となりえたかも知れませんが、精神的には敗戦後から続く旧世界観に根付くアジア主義から抜け出すことが出来ないでいるのが現状なのです。
アジア主義を脱することはアジアを蔑視することではありません。支那・朝鮮という圧政・人権蹂躙・独裁・無差別反日を繰り返す悪魔のような国家群をアジアの全てであるかのように錯覚し、このような国々と友好を結ぶことが日本にとって正しい事だと信じる狂信的アジア主義を日本から排除することを目指すものなのです。支那・朝鮮との関係を勇気を持って断ち切り、他の正常なアジア各国と手を取り合える世界を築きえた時、日本ははじめて「国際社会に名誉ある地位を占める」国家となりうるのではないかと思うのです。 |
発言者 | 桜井誠 |
所属 | 東京都知事選立候補者 |
所属団体 | 日本第一党 |
発言日時 | 2017/1/20 |
発言場所 | Doronpaの独り言 |
情報源 | Doronpaの独り言 【再掲】 アジア主義との決別 (平成十八年八月二十五日) |
掲載日時 | 2017/1/20 |
掲載元URL | http://ameblo.jp/doronpa01/entry-12239517765.html |
事後経過 | |
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補足・解説 | |