2016年8月13日、杉田水脈 「その終盤に飛び出したのが、作家で元都知事である石原慎太郎さんの「厚化粧」発言です。
2016年8月13日、杉田水脈 「その終盤に飛び出したのが、作家で元都知事である石原慎太郎さんの「厚化粧」発言です。
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発言内容 | 東京都の舛添要一前知事の辞職に伴う都知事選。連日の熱狂報道のおかげで、東京都民だけではなく、日本中がハラハラドキドキする17日間となりました。
その終盤に飛び出したのが、作家で元都知事である石原慎太郎さんの「厚化粧」発言です。これについてもマスコミは大きく取り上げました。
私は、この発言は会場をなごませようとして発した軽いジョークだったと思っています。シャイでサービス精神あふれる石原さんらしいなと。また、「厚化粧」と揶揄された小池百合子さんもさらっとかわしました。にもかからわず、マスコミはいつまでも騒ぎ続けました。当事者二人とマスコミ報道との間にすごい温度差を感じたのは私だけでしょうか。
中にはこれを「セクハラ発言」と報じたマスコミもありました。私が引っ掛かったのは、この「セクハラ」なのです。
私は以前から「セクハラが日本に入ってきて社会がおかしくなった」と講演会などで話してきました。というのも「セクハラ」という概念が入ってくる前まで犯罪はとてもわかりやすかったからです。法律や前例に照らして客観的に「罪に対する罰」が決められているのみでした。例えば「万引きをしたら罰金××円」「殺人を犯したら懲役△△年」といった感じです。
でも「セクハラ」のおかげでそこに不透明な領域ができました。
「セクシャルハラスメント」、略して「セクハラ」は、1970年代初頭に米国が作り出した造語です。日本では、1980年代半ばに輸入され、1989年の新語・流行語大賞の新語部門・金賞をが受賞して一気に広がりました。
セクハラの判断基準はあくまで「主観」です。
「君、色っぽいね。」と言われたとします。好きな異性からだと「わっ、うれしい!」となりますが、嫌いな相手からだと「気持ち悪い!セクハラ!」となるわけです。「毎日、性的な発言をされて苦痛でした」と訴えることができるのです。あくまで主観的判断なので本人以外はわかりません。「昨日はよかったけど、今日は嫌」なんてことも考えられます。「セクハラだ」と訴えられて初めて気づく男性も多いのではないでしょうか。「セクハラを受けて体調を崩したので補償してほしい」と言われても反論しようがないのです。
このように客観的に判断できない非常に不透明で困難な概念が定着してしまったわけです。それまでの日本は、嫌なことを言われたら侮辱で、触られたら痴漢で、襲われたら強姦で、それぞれ訴えればこと足りていたのです。
ところが、セクハラが定着した途端に社会がギクシャクし始めました。昔はおじさんたちは「胸が大きくてスタイルがいいね」とか、「べっぴんさん」などと、20歳そこそこのOLに言っていましたよね。志村けんのコントみたいに、いつも下ネタを言うおじさんがいたりして、それはそれで面白かったと思うのですが…。
最近はそんな発言は全部バツです。例えば「その服、新しく買ったの?」「髪の毛切って似合っているね」などと褒めても、言われた側が不快に思えば「セクハラを受けました」ってなるわけです。
これでは男性や上司は委縮して何も言えなくなるに決まっています。職場の人間関係はどんどんギスギスしていくだけ。会社はその対策のため、セクハラ講習などに時間とお金を割きます。
また、セクハラだと言われ、優秀な社員が退社を余儀なくされるケースも後を絶ちません。企業などの組織はチームワークが大切ですが、セクハラか否かは主観で決まるだけに、上司、部下、同僚はそれぞれ疑心暗鬼になり、結果としてチームワークは崩れ、仕事は非効率となります。
セクハラがどれほど日本の国益を損なってきたか、お分かりでしょう。そして、この概念を日本に定着させるのに一役買ったのが国連なのです。日本政府は女子差別撤廃委員会から「職場でのセクハラを禁止し、防ぐための法整備をするように」との勧告を毎回受けています。
2016年3月の同委員会の最終見解には「マタハラ(マタニティハラスメント)」も登場しました。妊娠・出産に関わるハラスメントを含む雇用差別ということですが、「赤ちゃんはまだ?」などという会話さえも御法度となります。女性の上司が言ってもダメなんです。あくまで発言の受けた人の主観で決まるのですから。
こうした社会の変化の裏に、国連まで行き「日本はセクハラに疎い国だ」と訴え続けたリベラルの方々の涙ぐましい“ご努力”があったのです。「セクハラ」「マタハラ」だけではありません。その後、「パワハラ(パワーハラスメント)」「モラハラ(モラルハラスメント)」など主観で判断される概念がどんどん増え続けています。
最近話題の「ヘイトスピーチ(差別的憎悪表現)」もそうです。私はヘイトスピーチは許せないと思っています。韓国がデモで日本の国旗である日の丸を焼こうが、首相の写真を破こうが、支那が日本の工場に火をつけようが、それと同じことをしないのが日本人だと思います。
ですが、これを法的に規制するのはいかがでしょうか。そもそもヘイトスピーチという定義があいまいすぎます。
先日、私が演説していると「杉田水脈は日本の中に反日がいるとヘイトスピーチをした」「杉田水脈は男女共同参画はいらないとヘイトスピーチをした」「杉田水脈は直ちにヘイトスピーチを止めよ」とスピーカーで怒鳴られました。
「私はこう言われて傷ついたからヘイトスピーチだ」「相手の心を傷つけたからヘイトスピーチだ」。このように主観で決めつけて言論を封殺してよいのでしょうか。
これでは真実を探求することも訴えることもできません。「慰安婦の強制連行はなかった」というのは真実の発信です。ですが、「そう言われたら傷つく人がいるのでヘイトスピーチだ。だからヘイトスピーチを規制しなければならない」と論点をすり替えているのが昨今の動きです。先の国会でヘイトスピーチ対策法が成立しましたが、このような言論封殺の動きが広がっていくのではないかと心配でなりません。
最初の話に戻ります。石原慎太郎さんはハラスメント概念のない時代の方です。ですから自由闊達な発言ができます。また、小池百合子さんもそんな男社会を生き抜いてこられた方です。だから、今回のような華麗な切り返しができたのでしょう。
「セクハラ」「パワハラ」などの批判を恐れて委縮している日本社会では、今後、小池百合子さんのような胆力のある女性は出てこないのではないかと危惧します。これは男性にとっても女性にとっても不幸なことではないでしょうか。 |
発言者 | 杉田水脈 |
所属 | 元衆議院議員 |
所属団体 | 日本のこころを大切にする党 |
発言日時 | 2016/8/13 |
発言場所 | 産経新聞 |
情報源 | 産経新聞 【杉田水脈のなでしこレポート(11)】石原慎太郎氏の「厚化粧」発言はセクハラなのでしょうか? 奇妙な概念が社会を蝕んでいます |
掲載日時 | 2016/8/13 |
掲載元URL | http://www.sankei.com/premium/news/160808/prm1608080004-n1.html |
事後経過 | |
経過情報源 | |
経過掲載日時 | |
経過掲載URL | |
補足・解説 | |