2017年7月23日、桜井誠 「ここで考えるべきは強制連行されたと主張する朝鮮人(当時は韓国という国家はありま


発言内容ここで考えるべきは強制連行されたと主張する朝鮮人(当時は韓国という国家はありません)がどのような経緯で来日したか?ということです。合邦後から日本の敗戦まで(明治43年から昭和20年、1910年から1945年)半島から日本に渡った朝鮮人の数は269万5千人にのぼります。韓国ではこの数を元に、強制連行(昨日の記事で「強制連行」というモノが存在しないことを指摘しています)された朝鮮人の数を200万人、北朝鮮では何を基準にしているのかは分かりませんが800万人として、日本の蛮行を殊更言挙げしているのです。しかし現実は違っており、まず合邦後に日本に留学、結婚、働き口を探しになどで訪日した朝鮮人が202万8千人ほどいました。これを自由渡航者と呼びます。要するに日本に渡った殆どの朝鮮人が自由渡航者であり、韓国人が言うところの強制連行とは関係のない人間だったのです。しかし、それでも先述の来日理由に当てはまらない66万7千人の朝鮮人がいます。この人たちはどうなっているのでしょうか?まず、そのことについて話す前に、民斡旋と官斡旋について説明したいと思います。日本本土で国民徴用令が実施された昭和14年(1939年)に朝鮮半島では民斡旋が始まります。民斡旋とは、民間業者が銘々勝手に本土での仕事を朝鮮半島で紹介することです。今で言うならアルバイトニュースのようなものでしょうか。例えば昭和15年(1940年)に北海道の三菱手稲鉱業所が募集した千人の鉱員に対して、朝鮮半島からは7000人もの応募者で溢れかえり、急きょ二次試験も実施することになったことが、朝鮮人の証言(崔基鎬『日韓併合』P38~P39)から分かっています。しかし、徐々に選挙区が悪化するにつれて民間業者でバラバラに求人をやっていたのでは効率が悪いとなり、当時の朝鮮半島の施策の最高機関であった朝鮮総督府を通じて一括して募集を行うことになったのです。昭和17年(1942年)から始まったこの募集制度を「官斡旋」と呼びます。しかしながら、官斡旋とはいえ当時の法律に基づくものですので、トラックに無理やり朝鮮人を詰め込んで日本に運んだ、というような韓国人の大好物のシーンですが、こういったものはすべて虚構です。そもそも、そんな手間暇のかかる事をしなくても、先の三菱手稲鉱業所の例でもわかるとおり、当時の炭坑や鉱業所は花形産業であり、高収入を得られる働き口で応募に事欠かないものだったのです。さて、その民斡旋で来日した朝鮮人の数が14万7千人、官斡旋で来日した朝鮮人の数が30万人になるわけです。少なくとも彼らは自分の意志で日本にやってきたわけですから、強制連行とは関係のないことになります。そして、最後に戦時動員、徴用令に基づいて来日した朝鮮人が残りの数、22万人になるわけです。昨日も指摘しましたが、この22万人の中には自分の意思に反して日本に来た朝鮮人もいたかも知れません。しかし、当時すでに朝鮮半島は日本と合邦しており、日本領土内に住む人間に課せられた義務、それが徴用であり、強制連行と呼ぶのは無理があるのです。なお、この徴用された朝鮮人22万人について、昭和34年に朝日新聞が追跡調査の結果を報じています。追跡調査を行ったのは我が国外務省であり、今なおこの時の数字について変更はされていません。調査の結果、徴用された朝鮮人のうち、日本に残ったものは245人に過ぎなかったというものです。あれだけ韓国で大騒ぎしている強制連行、その言葉の定義すらあやふやですが、仮に強制連行を当てはめるなら、この245人のみであり更に245人も帰る機会は幾らでもあったのに、「自分の都合で日本に残った」と証言しているのですから、結局「強制連行」とは韓国人の脳内妄想でしかなかったことが明らかになっただけなのです。
発言者桜井誠
所属東京都知事選立候補者
所属団体日本第一党
発言日時2017/7/23
発言場所Doronpaの独り言
情報源Doronpaの独り言 【朝鮮史講座:後編】 虚構に満ちた「強制連行」と愚かな韓国人
掲載日時2017/7/23
掲載元URLhttp://ameblo.jp/doronpa01/entry-12294527745.html
事後経過
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補足・解説
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