2016年11月16日、曽野綾子 「10月中旬、沖縄県東村の米軍ヘリパッドの建設現場にいた大阪府警の機動隊員が、


発言内容10月中旬、沖縄県東村の米軍ヘリパッドの建設現場にいた大阪府警の機動隊員が、抗議運動をしていた土地の人に向かって、「土人」と呼んで罵った。今時、悪口として土人という言葉を思いつくのは、かなり古い感覚だが、それが大事になった。 沖縄担当の鶴保庸介大臣は「それは別に差別ではない」と言って、蓮舫民進党代表の怒りをかった。「『土人発言』は問題ではない、ってどういうことなんでしょうか。法務大臣や官房長官でさえも問題視したものを」というわけだ。 私は東京の八丁堀生まれの父の娘である。私は父のことを「東京土人」とか、「東京原住民」とかよく書いている。私を含めてすべての人は、どこかの土人、原住民なのだが、それでどこが悪いのだろう。「沖縄の土人」というのは、蔑称だと思う蓮舫氏の方こそ、差別感の持ち主だと思われる。 大阪の心斎橋筋の老舗の息子に生まれた旦那を知っている。その人に対して、私が「大阪土人!」と言ったとしても、彼は怒る代わりに「そうともそうとも」と思うに違いない。彼はトンカツにかけるソースは「イカリ」でなければいけない。私が、「ソースはブルドックよ」などと言えば、「東京の奴は味がわからない」ということになる。くだらないことだが、関西では断じて「イカリ」、東京は「ブルドック」なのだ。 東京土人は、家に風呂があっても、銭湯に行く。大きくてよく温まり、ご近所さまとも裸の付き合いができる。明治生まれの私の父など、厳密な意味で標準語さえ喋らなかった。「お前さん」〔おまいさん〕と発言し、階段はどんな立派なものでも「梯子段」〔はしごだん〕だった。私の世代はもう、この東京方言を、聞いてわかるが、喋ることはできない。 土人も原住民も、それなりに自然な郷土愛や文化への自負を持っている。ましてや沖縄ほどの、料理にも焼き物にも染色にも、個性豊かな文化を持っている土地ならなおさらだ。父が生まれた土地の「土人」だと言われたら、「人の言うことなんざ、気にすることはないよ」と笑うだろう。 法務大臣も官房長官も、蓮舫氏の意見にしたがったのは、「大人げない女性に逆らうとコワイ」という世間の通念と同じモノがあったからかもしれない。 蓮舫氏は「改めて大臣の軽々しい発言、ならびに政府の国会軽視の傲慢な姿勢。このおごりにしっかり向き合っていきたい」と述べたが、政治家でもこの程度の日本語の理解者であることを前提に、政府は改めて国語教育に力を入れるべきだし、大臣や公務員は、言葉遣いにもっと用心することは必要だろう。 しかしこれも一種の力による言論統制で、私は社会には悪い言葉も自由に使える空気を残しておいてほしい、とほんとうは思っている。そうでないと、人々は無難なおきれいごとばかり喋るようになり、心は萎縮するからである。
発言者曽野綾子
所属日本郵政社外取締役
所属団体
発言日時2016/11/16
発言場所産経新聞
情報源産経新聞 曽野綾子の透明な歳月の光 「土人」発言に思う すべての人はどこかの原住民
掲載日時2016/11/16
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